うはwwwイスラーム教wwっwwおwwwwwkwwwwwww

 
イスラームの精神

 イスラームは古代社会の後進的な地域の一つで生まれた。徹底した一神教ピューリタン的様相を持つことと、イスラーム教徒が引き継いだ文化遺産に美的限界があったことから、信者は情緒に乏しく肉体的に苛酷な儀式に甘んじるようになった。他の宗教では年中行事に入念な儀式があるが、イスラームはそのようなものを作り出す要素を欠いていたか、あるいは意識的に拒否した。
 理由は次の通りである。組織だったイスラーム共同体が現れたのは、預言者ムハンマドが説教を開始してから十年も経たないときであった。ムハンマドは彼の同時代人がよく知っていたように、そして彼自身が常に強調していたように、一介の人間であった。彼の生涯には象徴的で曖昧な出来事は起こっていない。キリスト教でいうイエスが見せたような、信者の経験を高揚させるために、再演を必要とするような奇跡は起こっていない。またイスラームではサクラメント秘跡)は認めていない。このことは儀式を発展を妨げるもう一つの要因である。つまり、イスラームは自らの宗教が神秘的で神々しくあることを否定した。これはイスラームという宗教が一種の警告であること、天地の終焉が切迫していることと関係してくる。
 そして最後にイスラームは俗人の宗教であろうとした。聖職者階級がない事は必然的に儀式の長さと複雑さを軽減した。それは祭りの発展をも妨げ、イスラームの外見全般に、イスラーム神学からはるか昔に排除されたはずの、古風な純朴さと言いうる一風変わった単純な雰囲気を、時代を経て保持する一因となった。これはイスラームが教会の指導者の権力の強化といったものではなく、いかに宗教的目的を重視しているのかがわかる。
 その結果、本来イスラームの暦には祭りは二つしかない。巡礼、より正確にいえば巡礼の完遂を祝う祭りと、ラマダーン月の断食、というよりもむしろ禁欲期間中に終止符を打つ祭りともいうべきもの、の二つである。巡礼は、アラブが持っていた異教の慣習が発展したものであるが、断食はユダヤキリスト教的慣習を採用している。それらの祭り以外に、後で追加されたものもあるが、それは共同体の中で宗教上の協調点が変化した事を反映している。また、国外の諸所の思想を受けた祭りや、イスラーム成立以前の宗教的慣習の統合と説明できる祭りもあるかもしれない。
 イスラームキリスト教邪教と考える学者も多いが、実践面ではむしろユダヤ教に啓発されているようである。有能な権力者たちが解釈したものとして、啓示の定めに従って、ほとんど関係のない細部に至るまで整理されたユダヤ人のよき生活についての見解が、イスラーム教徒が自らの宗教に期待するもとになった。
 預言者ムハンマドを動かしたのは、恐怖感であった。切迫した天地の終末への恐怖、それに続く審判、そして注意を怠る者には必ず科せられる懲罰に対する恐怖である。ムハンマド以前にも、神は多くの民族に使徒を送り警告を与えていた。そして人類が目覚め、救われる道は一つしかないこと、すなわち創造主であり扶養者であり審判者である唯一神に、懺悔する以外に道がないように気付くよう促していた。ムハンマドは自分が占める位置を知っていた。このためにムハンマドは自分が信仰の対象になることを強く否定したのである。神は信じる人を許し、神とその使徒に従順に従う人を救済しようとしていた。しかし人は、その救いを得るためには、啓示された奇蹟を信じ、神が人に語りかけた言葉の特殊性を信じなければいけなかった。『コーラン』に言及して神は言う「―――人間とジンが束になってこの『コーラン』に似たようなものを作り出そうとかかったところで、似たようなものなど絶対に作れるものではない、たとい彼らはお互いに協力し合ったとしても』(『コーラン』十七章九十節)。つまりそれだけコーランが絶対的なものであると神は言う。
 信仰で強調される点は時の経過とともに、神が持つ威厳から神の愛へと、ある程度変わっていった。しかし人々は頻繁に引用される『コーラン』の章句、すなわち王座に関する節に示された神の途方もない偉大さに、依然として最も心打たれるのである―――
 
 アッラー、この生ける神、永遠の神をおいて他に神はない。まどろみも眠りも彼を掴むことはなく、天にあるもの、地にあるものことどとくあげて彼に属す。誰あって、その御許しなしに彼に取りなしをえようぞ。彼は人間の前にあることもうしろにあることもすべて知悉し給う。が人間は、その広大なる知恵の一部をのぞかせていただくのもひとえに御心次第。その王座は蒼穹と大地を蓋ってひろがり、しかも彼はそれらを二つながらに支え持って倦みつかれ給うこともない。まことに彼こそはいと高く、いとも大いなる神。
 (直訳)  アッラー、この生ける神、永遠の神をおいて他に神はない。アッラーは眠ることもなく、天地万物はアッラーに帰属している。どうしてアッラーの許しなしにアッラーをとりなすことができようか、いやできない。アッラーは人間のやることも、やろうとしていることもすべて知っている。が人間はその知恵の一部を知ることもアッラーの御心次第である。アッラーの王座は大空と大地を蓋うほどで、しかもアッラーはその二つを支え持っても疲れることがない。大変アッラーは大きく、偉大な神である。
これはアッラーの万能さが表れている一遍ではないだろうか。
 正しい行為とされるものには形式が定められたサラート(礼拝)を定期的に行うことも含まれる。サラートには一連の動作があり、それをしながら、短い『コーラン』の章句など、既定の言葉を唱える。まずムアッジンと呼ばれる人が、アザーンという礼拝への呼びかけを行う。モスクには鐘もないし、ガラガラとなる器具もない。信者は一人で礼拝をしても差し支えないが、モスクでの集会に参加するのが望ましい。
 信者はメッカの方角を向き、礼拝の指導者イマームの後ろに整列する。イマームは必ずしも聖職者というわけではなく、必要な専門知識を持ったイスラム教徒ならばだれでもイマームになれる。夜明けの礼拝では、ラクアすなわち「お辞儀」を二度、正午と午後の礼拝では四度、日没後の礼拝では三度、夜まだ早いうちの礼拝では再び四度行う。
 ラクアでは七つの動作と所定の言葉で構成される。(1)手を開いて顔の横に添え「アッラーフアクバル(神は偉大なり)」の朗唱(2)直立の姿勢で『コーラン』からファーティハ(開扉の章)と、一つあるいは若干の章句の朗読(3)腰を曲げて深くお辞儀(4)再び直立の姿勢(5)両膝をつき顔を床につけて第一回目の跪拝(6)体を起こして正座(7)二度目の跪拝と続く。連続2回目以降は(2)からはじめる。礼拝者は一連の動作を終えるたびに、また礼拝をすべて終えたときにシャハーダと一定の形式にならった挨拶の言葉を唱える。礼拝者はこの形式を守ることによってのみ有効とされる機械的なものととらえていたので、神秘性の付加や多様性はみられなかった。つまりこの形式を堅く守ることで救われると信じているわけである。
 巡礼に関しては聖地に行く能力がない限りは一生に一度行って巡礼することが義務とされている。未成年者、女性も夫や禁制範囲内の親族に同行してもらえない場合は免除される。奴隷や狂人も免除される。またイスラーム法学者の大半は物乞いをしながら巡礼をするのは批判的である。―――もっとも特にアフリカ人の巡礼者はしばしばこれを無視する。道中の安全が脅かされたり、陸路の適切な交通手段が確保できない場合も、延期は合法として認められる。
 一方条件が整っていないにも関わらず延期すれば顰蹙を買う。また故人のために故人の代理人が故人の名で巡礼することは四大法学派の一派だけが合法としている。つまり、巡礼をする人は本人ではければいけなく、また物乞いにみられないように心身ともに清められている状態で巡礼をしなければいけないということであろう。信者がいかに巡礼を神聖視しているかが伺える。
 今日に至るまでイスラーム教徒でない人は巡礼の見物や参加はもちろん、ハッジュ以外の時期でもメッカに行くことを禁じられている。西洋人がメッカに入ろうと思えば、正真正銘のイスラム教徒になるか、あるいは変装しなければならない。
 メッカの中心にはカアバと呼ばれる黒くて四角い立方体があり、巡礼者はその周りを回りながらカアパに接吻をする。これは土着の岩石信仰の名残でそれをムハンマドが許したことは彼に従う者の一部を動揺させた。
 ムルタザム、すなわちカアバ神殿の東の角と扉の間の約六フィートの場所は、特に清らかな場所である。神殿に充満するバラカ(祝福ないしはご利益のこと)をしみこませたいと思う敬虔な信者らは伸ばして開いた腕と胸をその壁に押し付ける。このことによって全身にアッラーを感じることができるお。


ソース
http://item.rakuten.co.jp/book/1457148/




つかれた・・・
途中の直訳ミスってるかもしれないので、指摘あれば即修正するお